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シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』。その台本をせつなは静かに閉じる。 もう、練習目的でこのペ-ジを開くことはないだろう。今後は思い出の品となって宝物の一つになる。 四つ葉中学校文化祭、三年生のステージのラストを飾る演劇。その本番を明日に控え、今夜は早く休むことにした。 せつなは机の引き出しを開く。赤い字で“SETSUNA”と書かれたプレート。その横に四つ葉のクローバーが添えられている。 イースが最期に見つけた四つ葉のクローバー。それをラブが持ち帰って、押し花にして飾ったものだ。 せつなはそれを宝物にして、机の中に大切に保管してしまった。 今、部屋にかかっているのは二枚目のプレート。ラブが慌てて作り直したものだった。 せつなはそっと胸に手を当てる。“幸せの素のペンダント”今ではもう――――その感触も思い出せない。 空しく戻した拳を固く握り締める。 とても大切な物だった。支給される物ではなくて、初めてせつなに贈られた物。最初にして、最高の宝物だった。 その後悔から、それ以後の思い出の品を大切にするようになった。 美希からもらったアロマ瓶。祈里の手書きの犬のしつけ方ノート。ラブ手製のルームプレート。そして、あゆみの贈り物のブレスレット。 明日の劇が終わったら、この台本もここに加えようと思った。 とても悲しいお話だから、決して楽しいだけの思い出ではないけれど、忘れられない大切な記憶になると思えた。 「待って! 私が演技なんて……。やったことがないわ」 主役に抜擢された時、とっさに口にした言葉を思い出す。フフッっと、小さく笑った。 本当は逆なのにと思う。演技をしたことが無いんじゃなくて、演技しかしたことが無かったんだと。 ラビリンスに生まれた瞬間から宿命付けられた配役。総統メビウスの僕であること。それを精一杯演じてきた。 幼くして四大幹部の一角にまで登り詰め、決められた道、敷かれたレールの上を最速で走り抜けてきた。刹那の名のごとく。 自分の心の声に耳を塞ぎ、他人に悲鳴を上げさせて―――― 不自由な身の上であったとは思う。多分、ロミオやジュリエットよりもずっと。 それでも、自分にこの二人の半分の勇気でもあったなら、強い意思があったなら。そう思わずにはいられなかった。 イースは結局、運命に逆らうことなく果てた。命を賭してでも、否、自ら断ってでも想いを遂げようとした二人となんと違うことだろうか。 ラブはラストを変えようと言った。二人を救ってハッピーエンドにしようと。 せつなは衝動的にそれを拒んだ。言葉にできるほど確かな理由があったわけではない。ただ、それは二人の生き様への冒涜であるような気がした。 ジュリエットは、あの時のイースと同じ十四歳で死んだ。短かすぎる命。それでも果たして彼女は不幸であったのだろうか。 自らの意思で運命の呪縛を断ち切って、どんなに長生きした人にだって負けない永遠の愛を手に入れたのだ。 それを、可哀想なんて理由でその決意ごと否定してしまっていいのだろうか。 幸せの素すら手にすることなく死んだイースに比べて、手にする資格もないまま与えられた東せつなに比べて、――――この二人はどこまでも眩しくて、憧れの存在だった。 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。四つ葉中学文化祭(後編)――』 文化祭の二日目にして最終日。体育館にて、最大の見所である三年生によるステージが開催される日。 前日を超える、凄い人数の来客で広い学内の敷地が埋め尽くされる。 「せつな、いよいよ次だね。こんなに人がいっぱいで緊張してきたよ」 「おとうさんとおかあさんが観に来てるわ。美希とブッキーも少し離れたところに」 「あっ、ホントだ! 美希たんとブッキーはどこだろう?」 「右から四列目の真ん中辺りよ。――って、どうして正おじ様や尚子おば様、レミおば様まで来てるのかしら……」 「お店休んじゃったとか? 美希たんもブッキーも学校違うから出ないのにね」 「東さん、よくこんな中から見分け付くわね」 「とにかく、ここまで頑張ってきたんだもん。必ず成功させようね!」 「「ええ!!」」 もうすぐ自分たちの劇が始まる。もちろん、メイクや衣装の支度は済んでいて後は開始を待つばかりだ。 準備期間こそ短かったものの、皆、集中して圧倒的な稽古をこなしてきた。 その日々と共に培ってきたクラスメイトとの絆。それが自信となって表情に宿る。見渡す限り不安そうな者は一人もいなかった。 ステージでは、隣のクラスの出し物『桃太郎と一寸法師』の楽しいお芝居が盛況だった。 ついに鬼が島の鬼を打ち倒した桃太郎。お話はそこから始まった。 しかし、平和な世も束の間、再び各地で鬼が跳梁跋扈しはじめる。原因は出雲の国にある白連洞に開いた大穴だった。 国で一番深い洞窟が、突然地獄と繋がってしまったのだ。 さすがの桃太郎も、自分と動物のお供たちだけでは対処しきれず都に援軍を求める。応じたのは、一寸法師と名乗る精悍な若者が率いる侍衆であった。 背の丈は桃太郎より一回り大きい。腰に差すのは日本刀ではなく、縫い針に似た形状の刺突用の直刀だった。片手剣であり、もう片方の手には小槌を携えていた。 彼らと協力して各地を巡り、鬼どもを洞窟に追い返すことに成功する。しかし、このまま閉じ込めてもすぐに封印を破って出てきてしまうだろう。 動物と侍衆を見張りに残し、桃太郎と一寸法師はたった二人で地獄の鬼王に挑む。 激しい戦いの末、ついに鬼王を打ち倒す。そして一寸法師は、打ち出の小槌で岩を大きくして地獄の穴を塞いだ。 こうして、今度こそ本当の平和が訪れたのだ。 とことん楽しさを追求したお話だった。鬼のお面もどこかコミカルで、下手な作りの衣装もユーモラスで。 殺陣の動きも、せつなたちと違ってゆっくりで大振りで、いかにもお芝居って感じでこれはこれで素晴らしかった。 鬼王はベニヤ板で作った高さ四メートルもあるハリボテだ。ゴトゴトゴトと大きな車輪の音を響かせながら舞台に現れる様子は、リアリティこそ無いが迫力満点だった。 「くすっ、くっくっ……」 「せつなが笑ってる!?」 「東さんが笑ってる!?」 「なによ、私だって笑うことくらいあるわよ」 「だって、せつなが嫌いな戦いのシーンだよ?」 「これは娯楽でしょ、一緒にしないで!」 「シェイクスピアだって、本質的には娯楽だと思うんだけど……」 「せつな、文化祭楽しい?」 「ええ、とっても楽しいわ」 「よかった! よかったね、せつな」 「きゃあ! ちょっとラブ、離して……」 ラブが嬉しそうにせつなに抱きつく。感情をストレートに表現するラブにとっては、特に珍しい行為ではない。 教室でもよく見かける光景なのだが……。 主役の豪華な衣装を着た二人の抱擁は、あまりにも人目を引いて―――― 「コホン。お二人さん、劇の開幕はもう少し先ですよ?」 「あっ、ゴメン、せつな。つい……」 「もう、恥ずかしいでしょ。謝らなくていいけど……」 軽く茶化しながらも、由美は寂しそうにそんな二人の様子を眺めた。 ラブには敵わないな、やっぱり。そんな独り言を聞こえるはずのない小さな声でつぶやく。 「東さん、ごめんね。わたしたちもあんな風に楽しいお芝居にすれば良かったね」 「ロミオとジュリエットは素敵な物語よ。私、演じられて良かったと思ってる」 「もうじき開幕ね。その前に、由美にお願いがあるの」 「わたしに?」 「由美がいてくれたから、私は楽しく学校生活を送れたんだと思う。もっと仲良くなりたいから、私を名前で呼んでほしいの」 「せつな……さん?」 「せつなでいいわ。私をそう呼ぶのは、ラブと美希に続いて三人目ね」 「うん! せつな、いい舞台にしようね」 「ええ! 精一杯がんばりましょう」 「でも、ロザラインの由美はせつなに振られちゃうんだけどね」 「そうだった……。って、ラブったらひどい!」 「あはは、ごめ~ん」 「全くもう……」 そうこうしてる内に盛大な拍手が体育館中に鳴り響き、舞台の両側からカーテンが閉じていく。 楽しいお芝居のラストを、クラス全員の喜びの踊りで飾りながら。 「いよいよだね。あたしたち、みんなで幸せゲットだよ!」 『おぉ~~!!』 ラブ、せつな、由美、そしてクラスメイトのみんなが、それぞれの持ち場に向かって勢いよく駆け出す。 ついに文化祭の最終ステージ――――演劇『ロミオとジュリエット』の幕が開いたのだ。 ナレーションが終わり、舞台のカーテンが左右に開いていく。 先ほどのお芝居は賑やかで楽しかった。次はどんなに派手で、美しい舞台装置が用意されているのだろう? 大勢の観客が期待に胸を膨らませて、幕が開くのを今か今かと待ち構える。 しかし――――そこには何も無かった。 繋ぎ合わせた画用紙で描かれた背景もなく、板や角材なんかで組み立てられた屋敷もなかった。 登場人物すら姿を見せず、光すら差し込まず、ただ闇があるだけだった。 いや、――――居た! 音楽と共に、スポットライトが闇に紛れていた一人の人物を照らし出す。ロミオだ! 華麗に舞いながら、切ない己の胸の内を明かす。 もう一人、今度は美しい女性が照らし出される。ロミオの憧れの人、ロザラインだ。 ロミオは美辞麗句を並べながらロザラインを口説く。しかし、まるで相手にしてもらえない。 つれなく去っていくロザラインと、悲しみに暮れるロミオ。 そんな様子を見かねて、友人のベンヴォーリオはロミオにロザラインを諦めるように諭す。 彼の強い勧めで、ロミオは敵地であるキャピュレット家で催される仮面舞踏会に参加するのだった。 どこまでも飾り気の無い、シンプルな演劇だった。 時々挟まれるナレーションと、効果的に流される音楽。それ以外は、本当に何も無かった。 ただ、見る目のある人なら驚愕したはずだった。 彼らの衣装や装飾品の精巧さに。絶妙な位置でライトを当てる照明係の腕の鮮やかさに。 そして、歩き方一つ、話し方一つ、表情一つ、それら演技力の全てが、素人の範疇を超えていることに。 もう一つ、舞台を見ずに客席を注視する者がもし居たなら、やはり気が付いたはずだった。 始めは失望し落胆していた観客たちが、息を呑み、拳を握り、身を乗り出すようにして舞台に夢中になっていく様子に。 仮面舞踏会が始まる。ステージ上の全ての照明が点灯され、舞台を煌々と照らし出す。 やっぱり、何の飾り付けも無い舞台だった。でも、そんなことを気にしている者は既に誰もいなかった。 クラス全員で踊るダンス。楽しげな笑顔と、洗練された動き。それらがありもしない美しい背景を、幻想という形で観客に見せるのだ。 一際目立つ女性が進み出る。金色に輝く、そんな形容が似合う太陽のような少女。 桃園ラブが演じるジュリエットだった。瞳に不思議な力を宿す少女。その娘が会場を見渡した時、観客全てが自身がロミオになったかのような感覚に囚われる。 まるで魅了の魔力でもあるかのように、ロミオと一緒にその姿に釘付けになるのだった。 ジュリエットが太陽の姫ならば、ロミオは月の貴公子。互いの対照的な魅力は、一緒に居る時ほど際立って輝きを放った。 男性の観客はジュリエットに惚れ、女性の観客はロミオに恋心を抱いた。 ジュリエットの切ない胸の内の告白。人目を忍ぶロミオとの逢引。見ているだけで痛いほどに伝わってくる、互いを愛して求め合う二人の情熱。 そして、ロレンス神父の導きによる秘密の婚姻の儀式。 結婚式と呼べるほど豪華なものではない。どんなに貧しい者でも、もう少しはマシな式を挙げることだろう。 互いに街を二分するほどの家柄に生まれながら、祝福する者の一人すらいなかった。 それでも嬉しそうだった。これ以上幸せな者なんて世界中に一人もいない。ロミオもジュリエットも、互いにそう信じて疑わなかった。 その笑顔が悲しくて――――その想いがいじらしくて――――この先の運命が痛ましくて。 早くも涙を流す観客がいた。 どうして、演劇の経験のない二人にここまで真に迫る演技ができるのか? 不思議に思うお客さんも少なくなかった。 答えは簡単だった。ラブもせつなも、始めから演技などしていないのだから。 本心から愛していた。本心から喜んでいた。本心から求め合っていたのだから。 その意味を知るものは、大勢の観客の中でも美希と祈里の二人だけだった。 ラブは知っていた。大切な人が冷たくなっていく絶望を。最愛の友が手の届かぬ世界に旅立ってしまう寂しさを。 せつなは知っていた。生きては決して結ばれぬ運命があることを。己の死を知って、最期に一目会いたくなる。そんな気持ちを―――― どんな名優の演技ですら、真実の想いに敵うはずなどないのだから。 やがて、物語は悲劇の終盤へと進んでいく。 マキューシオとティボルトの決闘。ロミオの制止も空しく失われる親友の命。そして、激しく燃え上がるロミオの怒り。 観客が息を呑む。まるで女の子のような(事実なのだが)、美しい貴公子だったロミオの突然の豹変。 ロミオの身体を纏うオーラの質が切り替わる。会場中に叩きつけられる、鋭利な刃物のような殺気。眠れる獅子の目覚めに観客は震え上がる。 小鳥のように囀る口は固く噛み締められ、女性の手を取るしなやかな指は、剣を握るためだけにあるかのように冷酷な動作を行う。 先ほどのお芝居のチャンバラなどとは全く違う、生々しい殺し合いが目の前で繰り広げられる。 誰が想像できるだろうか? これも演技ではなく本当の姿だと。わずか十四の少女が、その人生の大半を戦いに費やしてきたなどと。 どう見ても、真剣としか思えない精巧な作りの模造刀。それが照明の光を反射して濡れたように光る。 目視できないほどの高速で振われ、剣と剣がぶつかり合うたびに金属音が鳴り響く。 無双の剣士と謳われたティボルトが、ロミオの一撃に貫かれて倒れる。 会場のあちこちで悲鳴が上がる。最期の瞬間まで見届けた女性客が果たしてどれほど居たろうか。 従兄弟のティボルトの悲報を聞いて、一時はロミオを恨むジュリエット。幼い頃から兄妹のように育てられ、彼女にとって身体の一部のような存在になっていた。 そんな悲しみの涙すら、ロミオへの愛の前には朝日を浴びた露のように消え去ってしまう。 ジュリエットにとって最大の悲しみはロミオの追放であり、その絶望の大きさの前には全ての不幸は霞んでしまうのだった。 その頃、ロミオはロレンス神父の元に身を隠していた。 「追放? どうして死罪ではなく追放なのですか? それは死よりも恐ろしいもの。 ヴェローナの外に世界はありません。そこに追放されるとは、死を賜ることに他なりません。 短剣で貫いてもいい。毒薬だってあるでしょう。その方がよほど一息で楽になれましょうに! 追放? そんな心を殺すような手段で死の苦しみを永遠に与え続けようとは、それが人間のすることですか!」 「いいから私の話を聞くが良い。お前の苦しみを和らげる教えを授けよう。追放の身に大きな安らぎとなるであろう。 二人もの命が失われたのに、お前もお前の愛する人もどちらも生きている。死刑で当然の法ですらお前を生かそうとしている。 これは大変な幸運なのだぞ。黙れ! いいから聞くのだ! お前は今すぐジュリエットの元に行け、そして慰めてさしあげるのだ。 その後、日が昇る前にマンチュアに発て。私が時を見てお前達の結婚を発表し、両家の憎しみを和らげ、太守の許しを得てお前を呼び戻してやろう」 ちょうどそのタイミングで、ジュリエットの使いの乳母が彼女の様子を伝えに来る。 神父の言葉を信じ、ロミオはジュリエットに別れを告げるべく屋敷に急いだ。 事情を包み隠さず話し、ロミオはジュリエットに謝罪する。彼女は全てを許して彼の無事を喜んだ。 そして、初めての夜。最期の一夜を共にする。固く再会を誓いながらも、心は永遠の別れを予期していて―――― 「もう発たれるのですか? まだ朝には間があります。あれは夜に鳴くナイチンゲール。朝を告げる雲雀ではありません」 「いや、あれは雲雀だ。東の空をご覧、雲の割れ目から光が零れているだろう?」 「いいえ、あれは朝の光ではありません。あれは――――」 「ならば、もう僕は捕まってもいい。殺されてもいい。僕だってどれほどこのままでいたいか。 朝よ! 来るなら来い! 僕は逃げも隠れもしない。さあジュリエット、死が二人を別つまで語ろうじゃないか」 「やっぱり……あれは雲雀です。ああ、朝の光が差し込んでくる。思えばあなたと過ごしたのは夜ばかりでした。 許されぬ愛とは承知していても、朝日の祝福すら得られないのでしょうか?」 「明るさが増すほどに、翳るのが僕たちの幸せだ」 「待って! 私たち、もう一度会うことはあるのでしょうか?」 「もちろんある! その時には、この苦しみも楽しい思い出の一部になっているだろう」 せつなの表情が苦しみに歪む。いつも、このシーンで。 あの時、「また、会えるよね?」そう尋ねたラブにせつなは返事をしてあげられなかった。 ラブもまた、それ以上問いかけをしなかった。嘘でもいい、どうして必ず会えると言ってあげなかったんだろう? 今度同じことがあったら、どんな返事をしてあげられるのだろう? ラブの表情が悲しみに翳る。やっぱり、このシーンで。 あの時、「それがせつなの夢なんだね!」そう言って笑顔で送り出してあげた。 せつなははっきりと頷いた。それが本当にせつなの幸せなら、止めない! その気持ちは今でも変わりない。 本当のせつなの、本心からの願いなら―――― 揺れる二人の心は観る者の心を打つ。プロの演技ではない。大げさな身振り手振りもなく、声色を変えて朗々と語ることもない。 でも、その分だけ真実があった。純粋な愛があり、悲しみがあった。 みんな懸命に耳を傾け、舞台を見守った。ただの一言も聞き逃すまい、一瞬たりとも見逃すまいとするかのように。 ティボルトを失った悲しみに暮れる、キャピュレットとその夫人。彼らはモンタギューへの復讐を固く誓う。 そして、同じく気落ちしているであろう娘のために素晴らしい縁談を用意する。 相手の名はパリス、太守の親戚に当たる青年貴族だ。家柄、人柄、武と学問の全てに秀でており、市民からの信望も厚い。 男性として理想の人物でありながら、モンタギュー家と街を二分するキャピュレット家の立場においても、またと無いほど良い話だった。 しかしジュリエットは頑として頷かず、あまつさえパリスの悪口まで言い出す始末だった。 キャピュレットは怒りのあまり、この縁談を受けないのなら勘当すると言い渡す。 ジュリエットは母親にすがるが、彼女も夫に同調し、パリスとの結婚を拒むならもう娘とは思わないと切り捨てる。 相談役と心の頼みにしていた乳母に話してみたものの、彼らと同じくロミオのことは忘れてパリスに嫁げと迫るのであった。 全てに絶望したジュリエットは、ロレンス神父の元に相談に行くことにする。 これで駄目なら、命を断とうと決意して―――― 「神父様、どうかお知恵をお授けください。パリス様が嫌いなわけではないのです。私の全てはロミオ様のものです。 ロミオ様と立てた誓いを守り通せるならば、何も恐れるものはありません。どんな苦難にも耐えるつもりです。 それでも何も手段が無いと仰るのなら、私は今すぐこの短剣で全てに始末をつけましょう」 「良い方法など何も思いつかぬ。だが、死の覚悟すらあるのなら、あるいは一つだけ希望がないでもない。 今すぐ家に帰って、嬉しそうにパリスとの結婚を承諾するのだ。そして明日の夜は一人で眠ること。朝まで誰も近づけてはならない。 寝る前にこの瓶の中身を飲み干すのだ。 たちまち呼吸は止まり、脈も打たず、身体は冷たくなり、命の兆しの全ては失われるであろう。 その仮死状態は四十二時間続き、その後は何事も無かったかのように目を覚ますのだ。 そなたの身体は実は生きたまま墓場に埋葬され、事前に連絡しておいたロミオの手によって掘り出される。 そして、彼と共にマンチュアに旅立つのだ!」 「ありがとうございます、神父様。危険は承知です。短剣で断つつもりだったこの命、死んでも気後れなどするものでしょうか」 「ならば行きなさい、これが薬瓶だ。私はマンチュアに使いを出そう。ロミオへの手紙を持たせてな」 パリスとの結婚を受け入れたジュリエットの様子に、両親は心から喜びあった。嬉々として結婚式の準備に駆け回る。 厳しいことを言っても、何より娘の幸せを願って用意した縁談であった。 そして約束の夜、ジュリエットは一人きりの寝室で瓶を開ける。 もしこの薬の効果がなければ、短剣で死ぬしかない。効き過ぎて本当に死んでしまうかもしれない。 あるいは早く目覚めて、墓地の中で窒息してしまうかもしれない。上手く行く保障なんてどこにも無い。それでも、これが再び彼と会うための唯一の手段だった。 一息に瓶の中身を飲み干し、そのまま意識を失った。 次の日の朝に家族が見たものは――――冷たくなって横たわる、愛しい娘の最期だった。 キャピュレットと夫人、そしてパリス。その他大勢の人々の嘆きと悲しみの中、ジュリエットの告別式は滞りなく行われる。 祝いの花束を、別れの花束に変えて―――― マンチュアに身を隠すロミオの元に、彼の従者が早馬で悲報を知らせに来る。 「大変に悪い報告がございます。今朝方、ジュリエット様がお亡くなりになりました。 私はお嬢様がキャピュレット家の墓地に埋葬されるのを確認してから、こうして参った次第でございます」 「どうやら僕は悪魔だか死神だかに、ジュリエットと同じくらい愛されているらしいな。 おお、ジュリエット! 君を一人にしたのは僕の最大の過ちだった。あのまま部屋に居れば、せめて後数時間は一緒に過ごせたものを。 それは、この先の君が居ない何十年という月日など比べ物にならない価値があったろうに! 待っていてくれ、今夜からは君と一緒に眠ろう」 ロミオは命を断つ方法として毒を選んだ。マンチュアに住む貧しい薬屋に目を付ける。 毒薬の販売は見つかれば死罪だという。しかし、今にも餓死しそうな貧しい薬屋ならそうも言っていられまい。 渋る薬屋に大金を握らせて強力な毒薬を手に入れる。そして、その足でヴェローナへと急いだ。 ジュリエットの眠る、暗い墓地を目指して―――― ロレンス神父の元に、ロミオに送ったはずの手紙が舞い戻る。従者がトラブルに巻き込まれて届けられなかったのだ。 ジュリエットが目を覚ますまでに後数時間しかない。ロミオが来れないと知ったらどれほど嘆くだろうか? いや、それどころではない。早く掘り出してあげなければ墓の中で本当に死んでしまう。 再びロミオに手紙を出して、彼が到着するまで彼女は自分がかくまえばいい。そう判断して神父は墓場へと急いだ。 ジュリエットの死を悲しむパリスは、彼女の墓を守ろうと寝ずの番をしていた。 高貴な家柄の者は、生前身に付けていた装飾品などを遺体と一緒に埋葬する習慣があった。 そのため、埋葬されてからしばらくは墓守を付けるのが常であった。彼女を深く愛するパリスは、自らその役を買って出たのだ。 しばらくして、闇に紛れて墓に近寄る者が現れる。ツルハシを持った墓荒し、それはロミオであった。 「貴様はモンタギューのロミオだな! ジュリエットの従兄弟の命を奪い、その悲しみにて彼女を死なせた極悪人め。 この上、遺体まで辱めようとは――――恥を知るがいい! 今度こそ追放では済まさぬ。彼女への愛にかけて、私はお前を生かしておかぬ!」 「その通り、生きてはおれぬからこそ墓地に参ったのだ。聞け! 僕のような狂人に構うな。もっと命を大切にするんだ。 誓って言うが、僕は僕自身よりもよほど君のことを大切に思っている。僕を殺す役目は僕のこの手が引き受けた。僕の理性が残っている内に早く立ち去れ!」 「それは脅しか? それとも命乞いか? どちらも聞けぬ! この場で引っ捕えてやろう!」 「邪魔立てする気か? ならば死ぬがいい!」 ジュリエットの無念を晴らそうとパリスは決闘を挑む。腕には覚えがあった。負けるとは思えなかった。 相手が、ロミオでさえなければ―――― ティボルトすら打ち負かした剣の腕。最愛の人を失った行き場の無い怒りと、死を恐れない捨て身の戦いぶり。 パリスは己の判断が間違っていたことを、腹部に走る火傷のような痛みとともに知る。 しかし最期まで、ジュリエットが愛したのはロミオだと気付くことはなかった。 パリスは最後に、ジュリエットの墓に自分も一緒に埋葬してほしいとロミオに頼む。その想いに打たれ、彼の願いを聞き届けることにした。 彼女の想いがたまたま自分に向いただけ。彼と自分の間に何の違いがあるのだろうと。 近くに眠っているであろうティボルトにも謝罪する。彼もまた、ジュリエットを家族として愛し、案じていた者だった。 彼女はきっと、全てのものに愛されすぎていたのだろう。死神にも、彼女を招きたいと願う天上の神にまでも。 「ジュリエット! 今、君の元に!」 ロミオは毒瓶を飲み干し、息絶えた。 彼女の身体の上に、折り重なるようにして―――― ロレンス神父がジュリエットの墓に到着した時、全ては終わっていた。 救出すべきジュリエットは既に掘り起こされ、今にも目覚めようと呼吸を再開していた。 彼女の側には血まみれの剣が二本打ち捨てられている。 その側にはパリス伯爵が、そしてジュリエットに重なるようにしてロミオが、それぞれ彼女よりも冷たい身体を横たえていた。 「目が覚めたか、ジュリエットよ。墓場の目覚めに相応しい、最悪の事態が起きてしまった。 夜ごとうなされる悪夢ですら、もうちょっとは救いがありそうなものだ。しかもこれは全て現実なのだ。 さあ、グズグズしていてはお前の身まで危うくなる。今はとにかくここを離れるのだ」 「ロレンス神父様、今までありがとうございました。どうかお一人でお帰り下さい。そして、私のことはお忘れになってください。 酷いですわ、ロミオ様。その毒瓶、一滴でも私に残しておいてくだされば同じ方法で死ねたものを。 懐にあるのは――――私の短剣? 良かった、これがあればあなたの元に行けます」 ジュリエットは短剣の鞘を投げ捨てる。心の臓、左胸に狙いを定めて振りかぶる。 最後に一目ロミオを見ようとして、そして―――― そこで動きが止まった。 (やっぱり……こんなの、嫌だよ!) ラブは震える手を開いて短剣を落とした。床にぶつかって乾いた音を立てる。 涙ぐんで舞台を見ていた観客がザワつく。観客だけではない。他の出演者、いや、クラスメイト全員に動揺が走る。 ジュリエットは短剣で自らの胸を貫き、ロミオと共に息絶えるはずだった。それで両家は反省し、仲直りし、エンディングを迎えるはずだった。 こんなシナリオは――――筋書きにない! ラブはせつなの上体をそっと両手で抱き寄せる。せつなの演技は完璧で、首も、腕も、ダラリと力なく垂れ下がる。 呼吸はしているのだろうが、息使いがまるで感じられない。身体が温かいことを除けば、本当に死んでいるかのようだった。 ラブの脳裏に甦る、イースの死。その絶望的な想い。 たとえお芝居でも、もう――――二度とせつなを失うなんて耐えられなかった。 「いや……。――――こんなの、嫌。ねえ、目を覚ましてよ? ロミオ、ロミオ――――!!」 ラブの絶叫が会場中に響き渡る。それでクラスメイトも覚悟を決めた。シナリオは――――たった今、変更になったのだと。 ならば、アドリブで乗り切るより他はない! 騒ぎを聞きつけた夜警の者がジュリエットを取り囲む。ジュリエットは自分に短剣を突きつけ、近寄らないでと警告する。 側に居たロレンス神父が夜警に事情を話して説得する。唯一無事な娘だけでも、まずは家に帰そうと。 家に帰っても、ジュリエットはロミオの側から離れようとしなかった。二人だけにしてくれと言って、誰も部屋に入れようとしない。 本来はこんな我がままを許すキャピュレットではない。しかし、ロレンス神父から経緯を聞き、その想いを知った今となっては引き離すこともできなかった。 ジュリエットは短剣を肌身離さず持っている。刺激すれば本当に命を絶ってしまうだろう。 娘に先立たれる絶望を繰り返す勇気は、さしものキャピュレットにもなかった。 (どうして? どうして二人は救われちゃいけないの? 悪いことをしたから? 自分勝手な愛情を貫こうとしたから?) ラブはせつなの手をとって胸に当てる。自分の心がせつなの心に届くように。 そして、自分の心臓の鼓動で、ロミオの鼓動を呼び覚まそうとするかのように。 自分の気持ちに正直に、真っ直ぐに生きた二人。その生き方は、せつなの抑圧してる願望そのものなんじゃないだろうか? 二人に救いを認めないのは、せつな自身の幸せを認めない気持ちの裏返しなんじゃないだろうか? せつなの表情に変化はない。この展開を、どんな気持ちで受け止めているのかもわからない。 持ち上げられた腕はいかなる筋肉の働きも見せず、ラブの手に見た目以上の重さで圧し掛かっていた。 ラブとせつなの意地の張り合いだった。このまま目を覚まさなければ、本来の結末と大きくは変わらない。彼女はそのつもりなのだろう。 動きのないシーンが長時間に渡って続く。クラスメイトは成す術もなく、ただ冷や冷やしながら進展を待つより他なかった。 観客は固唾を呑んで見守った。退屈したり、不満を口にする者はいなかった。 ラブの小さな体から、深い悲しみと強い決意が伝わってくる。絶対に――――あきらめないと! (あたし、馬鹿だ。ただの演技にムキになって、みんなのお芝居をメチャクチャにして……。でも――――) ラブのせつなを握る手に力がこもる。きっと、せつなは自分の過去と未来をこの物語に見ていたはず。 ずっと、様子がおかしかったから。 (本当のせつなは一体どこにいるんだろう) かつての美希の問いかけが、再びラブの脳裏によぎる。 ラビリンスに生まれ、イースとして振舞った。四つ葉町で生まれ変わり、新しい生き方を探した。 ラブに、美希に、祈里に、彼女たちの中に、新しい自分を探そうとした。 それは――――自分の意思で生きたことのない子の、悲しい性だったのではないのか? (初めて会った時からせつなは素敵な子で、何も変わってなんかいないもの) あの日から、ずっとせつなを見つめてきた。 瞳に宿る――――悲しさを。胸に隠した――――寂しさを。心に秘めた――――渇望を。 ロミオとジュリエットの恋が許されぬように、それが運命であるように、せつなに幸せは許されないのだろうか? (そう、何も変わっていない。本当のせつなはいつも心の隅っこで、いろんなものを我慢しながら震えているんだ) イースも、せつなも、パッションも同じ。メビウスの前でも、ラブや美希や祈里の前でも同じ。せつなは何も変わらない。 いつだって自分を押し殺して、こうあるべき、こう生きるべきだって、自分に言い聞かせて―――― (ねえ、せつな、わがままを言ってよ。こうしたい、あんなことがしたいって、夢を聞かせてよ) 家に来たのは、おかあさんが勧めてくれたから。美希や祈里と仲良くなれたのも、彼女たちが受け入れてくれたから。 ダンスを始めたのだって、祈里がダンスウェアまで作って誘ってくれたからだった。 せつなは、ただの一度だって自分の幸せを求めたことはなかった。 「みんなを笑顔と幸せでいっぱいにしたい」 別れの日にせつなが語った夢。それがせつなの幸せ? 違う! それは――――みんなの幸せのはず。 なりたい自分を思い描いて、その夢を実現させる。それが自分の幸せのはず。それこそが生きる意味のはずだった。 (これ以上、我慢なんてさせない。あたしは――――せつなの人生に悲劇なんて認めない!) ロミオとジュリエットが運命に殉じたように、せつなも自分の運命に殉じる覚悟でいるのなら、 ここで二人の死を認めてしまったら―――― またいつか、せつなは自分の幸せや、命まで投げ出す日が来るかもしれない。 だったら――――変えてみせる。運命すらもねじ伏せて! (どうしたらいいだろう? 確か物語では……) 御伽噺のセオリー。寝ている王女を起こす方法。この場合は王子だけど―――― 本来は、この舞台でも数箇所で用意されていたシーン。恥ずかしくて、結局全部カットしてしまったシーン。 だけどもう、これしか方法がないから―――― (きっと、お互いにファーストキスだよね。ごめんね) ラブがせつなに顔を寄せる。一瞬だけ躊躇して――――唇をそっと重ねた。 予定していた演技ではなくて、あたたかい、本物の……。 ビクン! とせつなの身体が震える。ロミオが倒れてから初めての反応。 ラブはそのチャンスを見逃さない。 「動いた! 動いたわ! ロミオ様のお体が、今――――確かに!」 ラブは両手を広げ、大きく宣言する。ロミオは死んではいなかったんだと! 様子を見守っていたクラスメイトが視線を交わして行動に移す。予測された展開の一つだった。 キャピュレット家に、ロレンス神父と共にみすぼらしい薬屋が姿を現す。 ジュリエットと、ベッドに眠るロミオの姿を認めて膝を突いて謝罪する。 「私は嘘を付きました。お金に目がくらみ、かと言って毒薬を売って死罪になるのも恐れ、偽りの薬を売りつけました」 一昔前のこと。貧窮し、ヴェローナで違法の薬を売って捕まった彼は、そこでロレンス神父と出会う。 その時、神父からある秘薬を受け取ったのだ。もし、この先毒を飲んで死にたいと願う者が現れたらこの薬を渡しなさいと。 自殺志願者の説得は難しい。でも、一度本当に死んでしまえば、その愚かさに気が付くだろうと。 もうじき四十二時間が過ぎる。ロレンス神父の言葉の通り、ロミオの頬に赤みが差す。 呼吸が戻り、指先から腕に、腕から肩に、そして両足に力が戻る。 静かに起き上がり、無言でジュリエットを見つめる。 やがて状況が理解できたのか、あるいは理由なんてどうでもよくなったのか、駆け寄ってジュリエットを抱きしめた。 「おお、ジュリエット! これは夢だろうか? それとも天国で再会でもしたのだろうか? どちらでも構わない。夢なら覚めなければそれでいい。 もし現実であるならば、今すぐここを出よう! 今度こそ僕は二度と君を離さないと誓おう」 「行きましょう! そこがマンチュアでも世界の果てでも構いません。ロミオ様のいる場所こそ私の唯一の世界なのですから」 「「その必要は無い!!」」 「その通りだ。ロレンス神父から全て聞かせてもらった」 現れたのは、ジュリエットの両親キャピュレット夫妻と、ロミオの両親モンタギュー夫妻。 そして――――ヴェローナ太守、エスカラスその人であった。 「どちらが間違っていると思う? 憎みあう両家の間で育まれた愛か? それとも、我が子の幸せすら許さぬ両家の争いか?」 「許せ、ロミオ。お前の親友のマキューシオの命を奪ったのも、ジュリエット嬢の従兄弟ティボルトを殺したのも我らだ」 「すまなかった、ジュリエット。前途あるパリス伯爵の不幸も、私たちの不毛な争いが生んだ悲劇。罪は我らが被るとしよう」 「それには及ばぬ。裁きは既にロミオに下っており、それは覆らぬ。しかし、ロミオは一度死んだ。死者にこれ以上被せる罪は非ず! 両家が心を改め、禍根を忘れ、これ以上争いを行わぬと誓うなら――――太守エスカラスの名において全てに恩赦を与えよう」 ロミオとジュリエットは初めは呆然と、そして、事情が飲み込めてからは抱き合って喜びの涙を流した。 太守の宣言した恩赦はロミオ個人に留まらず、投獄されている囚人の中で、非道な者を除く全ての囚人に適用された。 その者たちの多くは、モンタギューとキャピュレット家の争いに加担した者や巻き込まれた者であった。 時を置かずして、ヴェローナの街を挙げてのお祭りが開催される。改めて、ロミオとジュリエットの盛大な披露宴が行われたのだ。 いたるところで楽士が歌い、飲食店は支給されたお金で無料でご馳走を振舞った。 モンタギューとキャピュレットは屋敷で静かに酒を酌み交わし、ベンヴォーリオは墓石に酒を吸わせた。 マキューシオだけではなく、ティボルトやパリスにも。 それぞれの墓には、美しい花束が二つづつ供えられていた。 「恨み言は俺が代わりに聞いておいてやる。幸せにな、ロミオとジュリエット」 マキューシオの墓にもたれかかり、酒を煽るベンヴォーリオ。彼の語りとともに、静かに舞台は幕を閉じた。 “スタンディングオベーション” 観客の総立ちによる、割れんばかりの拍手とともに―――― 桃園家の二階のベランダ。お風呂上りのせつなが、秋風に吹かれながら夜景を眺める。 ミディアムレイヤーの美しい黒髪がサラサラと流れる。その表情は穏やかで、いつもより楽しげに見えた。 ラブがそっと隣に立つ。 「お疲れ様、せつな」 「お疲れ様、ラブ。でも、いくらなんでも強引よ! びっくりしたんだから」 「ごめん。せつなの顔を見てたら悲しくなって、耐えられなくなっちゃったの……」 「もういいわ、私も意地になりすぎてたもの。ごめんなさい」 ラストの変更は、計画段階から予定されていたものだった。それを拒否して原作通りの結末にこだわったのがせつなだ。 与えられた環境、決められた役割の中で精一杯頑張るのがせつなのスタイルだ。今回は確かに自分らしくなかったと反省する。 「でも、みんなよく合わせてくれたわね。一つ間違えると大変なことになってたんだから……」 「少し前のあたしたちなら無理だったよ。演劇を通じて、クラスのみんなが一つになれたからやれたんだと思う」 「それをどの口で言うのかしら?」 「ひゃい、いひゃいよ、せつな。はにゃして……」 「いたた……。せつなの口に合わせた口でだよ?」 「こらっ! それもびっくりしたんだから。あんなやり方ズルイわ!」 ひとしきり追いかけっこしてから、ラブが真剣な表情でせつなを見つめる。 「ねえ、せつな。あたしは自分の幸せも、みんなの幸せもゲットしたい。せつなはどうなの?」 「ええ、私もそれが望みよ。幸せになるために、この街に戻ってきたのだから。でも――――」 「どちらかしか選べないなら、私は迷わないわ」 「やっぱりね……。そう言うと思ったよ」 ラブはゆっくりと距離を詰めて、せつなに被さるようにして抱きつく。 少し湿った髪からシャンプーの匂いが薫る。 「だったら、せつながみんなの幸せを選ぶなら、あたしはせつなの幸せを選ぶ」 「みんなで、幸せゲットするんじゃなかったの?」 「大丈夫だよ! せつながみんなの幸せを選ぶなら、それであたしたち全員幸せゲットできるじゃない」 「だから、そんなこと言うのズルイわ……」 「一緒に夢を探そうよ。幸せは自分から、あたしたちから広げていくものだよね?」 せつなはそれ以上何も答えなかった。ただ、頬を滑る一滴の涙が、何かをせつなの心に届けたのを教えてくれた。 冷たい秋風も、身体を寄せ合う二人を冷やすことはできない。より一層に互いの温もりを引き立たせる。 困難は、乗り越えた時に大きな幸せを導いてくれる。 そう――――教えるかのように。 新-168へ
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「んっ…ああっ!……ハア~ッ、また失敗しちゃった。卵焼きってどしてこんなに難しいのよ……」 「あーあ……残念だったねせつな。けど練習あるのみ。だよ!」 「どしてラブみたいに上手くできないのかしら」 「あたしだって始めは下手っぴだったんだよ?だからせつなだってきっと大丈夫!ねっ?」 ラブの心からの励ましとこぼれんばかりの笑顔。 さっきまでの悔しさを包み込むような温かさが、せつなの胸に拡がります。 「ようし!上手く巻けるようになるまで、何度でも精一杯がんばるわ!」 「その調子!」 微笑みあうふたりのそばには、山のような卵の殻が積み上がっていました……とさ。 「ふふ。二人とも頑張ってるじゃないか。」 「家計の事情もあるんだけど。」 「まあまあ。僕のお小遣いから引いといて。」 「冗談よ。でもせっちゃん楽しそうね。」 「ああ。ラブも楽しそうだね。」 「お父さんお母さん、お待たせっ! 今晩のメインディッシュは、せつな特製!くるくるだし巻卵だよっ!」 「まあ、せっちゃん!とっても上手になったじゃない!」 「だけどメインってことは、サブのおかずがあるわけで…… 他のおかずはどこにあるんだい?」 圭太郎に聞かれ、にこやかに微笑みをたたえたラブが指差したのは、お皿に乗せられた大きな黄色い塊。 それは綺麗に巻かれなかった、だし巻卵の成れの果てたちだった。 「これが……サブ?」 「お父さんお母さんごめんなさい……卵焼きに夢中で、 気がついたら他のおかずを作る時間が無くなってたの」 「ささ、せつなの努力の成果なんだから、文句言わずに食べる! それに、見映えはアレでも、味はラブさんの保証つきだよ!」 「どれどれ……ん!旨い!」 「あらホント!お父さんのお弁当のおかずにピッタリ。 明日からせっちゃんに毎朝お願いしようかしら」 「嬉しい!任せて、お母さん!」 「せつなの卵焼きで、皆幸せゲットだね!」 翌日。 「お!桃園さんは今日も愛妻弁当ですか。うらやましいなあ」 「実は……下の娘が初めて作ってくれましてね」 かぱっ。 圭太郎が蓋を開けると、唐揚げやブロッコリー、ミニトマトの間におさまった、せつな特製くるくるだし巻卵が。 そして、御飯の上には桜でんぶで大きなハートマークが……! 「幸せゲットだぜ!」 「あ、いっけない。お父さんに渡したお弁当、ラブのと間違えちゃった」
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(あったあった。これで超幸せゲットしちゃうよー!) 100円玉貯金がまた減っちゃったけど、これもせつなの喜ぶ顔が見たいから。 そう心で呟いて、急いで家に向かう。 せつながダンスレッスンから帰ってくる前に明日の準備をしなくちゃ! 「ただいまー!」 「お帰りなさい。おやつあるわよー。」 「お母さん!ちょっとコレ見て!」 あたしが差し出したのはお弁当レシピ本。 「あら、随分凝ってるのねぇ今のお弁当って。」 「でしょでしょ!あたしも作ってみようかなーって。」 とは言え、いくら料理上手なあたしでも、最大の難敵は〝早起き〟だったりして。 「で、お母さんは何をすればいいのかしら?」 「あは。バレてたか……。じゃなくて!起こしてくれるだけでイイから。」 「あら、意外ね。もしかしてー、せっちゃんのため?」 「うん!」 勢いで買っちゃったレシピ本。幼稚園で職場体験とも重なって、意気込んでは みたものの…。どんなのを作ろうか、まだ考えてなかったり…。 あ!でもコレだけはハッキリしてるの。 ―――せつなを喜ばせたい――― 「そうねぇ。まずはラブが、どんなお弁当を作りたいか絵でも描いてみたら? レシピ本通りに作っても〝ラブらしさ〟が出ないでしょ?焦る事はないわよ。 その間にお母さんはお買い物行って色々買ってくるから。」 「うん!よろしくねお母さん!」 って絵なんか描いてたらせつな帰ってきちゃうじゃん! しばらく自分の部屋で集中してみる。 あたしの特製おべんと… 愛がいっぱい詰まった手作り… おかず冷めてもあたしたちの愛は… 何このあったか妄想。いつものあたしが戻ってきちゃったじゃん。 結局、ベッドの上でゴロゴロしながらレシピ本を読んでると… 「ただいま。」 「だぁーーーーーーーーーー!お、おかえり。は、早かったねー」 慌ててレシピ本を隠す。見付かったらプラン台無し。100円玉貯金も報われないよ。 「ん?今、何か隠したでしょ?」 「いいえ。」 「怪しい。」 「な、何?どうかした?ニヘヘ~」 「ちょっと見せなさいっ!」 「やだ。」 「やじゃないの!」 「だーめ。」 「もう!」 せつなはあたしの枕元へダッシュ。とっさにあたしは 布団と一緒にせつなに覆い被さる。 「もう、なんなの?」 「お願い。明日までナイショにさせといて…。ね?」 「悪い事じゃないのね?」 「うん。」 「わかったわ。疑ってごめんなさい。」 せつなはそう言うと、あたしと寄り添いそっと体を預ける。 しばらくして、どちらかが一方の名前を呼ぶ。しかし、眠っていることに気付いて、 優しく微笑み、自分も再び体を預けて目を閉じる。 ガチャ 「ラブー、何作るか決まった……。うふふ、考え疲れちゃったのかしらね、二人とも。」 (ここは一つ、お母さんが頑張っちゃおうかしら。) ~夕飯後~ 「ごめんお母さん。まだ何作るか決まってないんだ…」 「あ、大丈夫よ。一通り考えてみたから。この通りに作ってみたらどうかしら?」 「うわぁー!すっごーい!こっちはあたしので、こっちがせつなの?」 「そ。我ながら良く描けてるでしょ?で、これがレシピね。」 あれ?これってほうれん草のペーストで作ったクローバーだけど、お母さん… 「そ、それはじ、自分でやってちょうだい…ね?」 「はーいっ」 ありがとうお母さん。あたし一生懸命作るよ! せつな、明日楽しみにしててね! 絶対に幸せ、ゲットだよ! お金で買えないレシピ。 幸せのレシピは愛情いっぱい! 人の少なくなった時間。こっそり忍び込む一人の堕天使。 (お弁当レシピ本?隠す必要なんてあるのかしら…。どして?)
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明かりの消えた部屋。 夜目に慣れた目には、 このくらいでちょうど良い。 ずっと、部屋を眺めていた。 見慣れた風景。 丸いカーペット。 赤いカーテン。 お父さんの机。 引き出しを開ける。 学校で使ったノート。 「帰りにドーナツ食べよう!」 「寝てたら起こして!」 授業中に、ラブが横から書き込んだ文字が あちこちにあり、私は少し吹き出した。 犬のしつけ方を綺麗に書いてくれた ブッキーのノート。 美希がくれた、アロマの瓶。 お母さんの、ブレスレット。 引き出しを閉めかけ、 もう一度開いて眺める。 何度か繰り返し、ようやく 引き出しを閉めた。 机の上を、綺麗に片付ける。 クローゼットの中の洋服も きちんとかけ直す。 机の上にある、 フォトフレーム。 ダンスレッスンの時に写した、 4人の写真。 手に取り、胸に抱く。 目を閉じる。 短かったけど、とても 輝いた日を過ごせた。 大切な、家族。 大切な、仲間。 お母さんのぬくもり。 お父さんの優しさ。 美希の声。 ブッキーの仕草。 ラブの笑顔。 ずっと、忘れない。 空が白んできた。 目を開く。 落ち着いている。 迷いは無い。 あの時と、同じ。 イースとして、最後の闘いのため 占い館を後にするとき。 あの時と違うのは、 胸に抱く気持ち。 両手にあふれるほどの 幸せをもらった。 今度は、私が返す番。 命と引き替えに、 すべてが元に戻る。 私は、大丈夫。 抱えきれないほどの幸せは、 次の生に、引き継ぐから。 服を着替え、鏡を見る。 いい表情。 そろそろ出よう。 荷物なんて、いらない。 そう長くは、かからない。
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「ちょ、ちょっとソレ…」 「何?変かしら?」 四ツ葉町にも海開きの季節がやってきた。 七月中旬の、それはそれは日差し厳しい日に起きた出来事。 「ちょっと胸が苦しいかも」 「で、でしょうねぇ.....」 頭を抱える美希。 自身はその磨かれたプロポーションを武器に、砂浜を歩く人々を虜にしている。 一方。 見慣れた水着。 明らかにそれは…ラブが去年まで着ていた水着だ。 (おさがり…って) まさかの展開に唖然としてしまう美希。 呆然とその姿を見詰めるせつな。 自由よね。何を着たって。 何度も自分に言い聞かせ、我に返る完璧少女。 「さっきから変よ美希」 「はっ!?あ、えっと…」 海開き初日。ある意味、記念すべき日。 せつなにはもっともっと、たくさんの経験や思い出をと思い誘ってみた。 自分でどんどん突き進む少女と、一歩引いて冷静に物事を見詰める少女。 思い起こせば、本当に仲良しになった二人。距離も縮まり、会話も弾むようになった。 あの頃の思い出は薄れて、今は積み重ねていく時間の方が多くなっていた。 「歩きましょ、美希」 「えぇ」 ナチュラルスタイリッシュ。 せつなは隣で颯爽と歩き続ける美希を横目で見ながら、少し嫉妬してみせる。 神様はどうしてこんなに差を付けるのと。 「羨ましいわ、美希が」 「どうかした?」 じっと自分を見詰めるせつなを見て、美希はすぐに察知する。 そして思う。 気合入れすぎちゃったかな…と。 持参したパラソルの下で、二人の少女は寄り添う。 冷えたストレートティーとラムネ。 サングラスと麦わら帽子。 雲一つない青空と、大きな海。キラキラ輝く水面と心地よい風。 「ソレってラブの水着でしょ」 「怒ってるの?」 顔に出てしまって思わず赤面する美希。 作戦成功と心で呟くせつな。 泳いでカッコイイ所を見せようと考えていたけれど。 いつも通り、自然体のまま。成り行きのまま、おしゃべりしてるのも悪くないかなって。 何かこう、そばにいるだけでイイ。 うん。 アタシ、幸せ感じてるかも。 いつになったら泳ぎ教えてくれるのかしら? 水着だって恥ずかしいのに…。ラブのだから着れるのよ? そもそも、私が泳ぐの苦手って伝えるのも何か嫌…。 美希、笑うかもしれないし。 もう少し、こうしていようかしら。 互いのバッグには日焼け止めのクリームと、トリニティのチケットが二枚。 チャンスが来るのは何時になることやら。 「美希、ちょっとくびれすぎじゃない?」 「せつなこそバランス良すぎ」 ~END~
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足が、細かく 震えている。 口の中が、 乾いている。 初めて立つ、舞台。 クローバーコレクションの バレンタイン特集。 タイアップしている雑誌の 読者モデルにも、声がかかった。 何度も、ため息をつく。 気分は、晴れない。 スタジオや、ロケ先で 写真を撮ってもらう。 それが、雑誌に載る。 そうやってきた。 今回は、違う。 たくさんの観客に、 生身でぶつかる。 今回の、モデルへの要求は、 「バレンタインチョコを渡すポーズ」 ちゃんと歩いて。 ちゃんとポーズして。 ちゃんとターンして。 間違えないようにすればするほど、 動きが硬くなる。 「美希ちゃん、笑顔が硬いよ!」 「もっと足を軽やかに!」 リハーサルでも、 散々注意された。 スタッフさんの反応も、 いまいち。 何だか、情けない。 アタシ、全然 完璧じゃない。 調子が出ないまま、 本番が始まった。 音楽が流れ、モデルさん達が ひとりずつ、軽やかに歩いていく。 みんな、自信にあふれて 生き生きとした表情。 鏡を見る。 口だけ、笑っている。 こんなんじゃ... 光の点滅が、 目に入った。 アタシの、リンクルン。 伝言メモが3件。 順番に、再生する。 「美希たんなら、出来るよ! 応援してるからね!」 「美希ちゃん、絶対にいい笑顔に なれるって、信じてる!」 「案外、緊張してたりして...。 精一杯、楽しんでね」 みんなの声が、 体にしみ込む。 胸に、手を当てる。 暖かい。 みんなが、いる。 顔を上げる。 目の前の空気が、 変わった。 前の人がターンし、 戻ってきた。 アタシの出番だ。 軽くタッチし、歩き始める。 センターステージに、 3人が見える。 笑顔で、 手を振っているラブ。 小首をかしげて、 微笑んでいるせつな。 胸の前で指を組み、 にっこり笑っているブッキー。 一緒に、ダンスをした。 力を合わせて、闘った。 心から笑い、泣き、 喧嘩も出来る仲間。 今年の、バレンタイン。 感謝と、想いを込めて、 みんなに、チョコレートを贈るわ。 3人に、近づく。 あらたまると、何だか ちょっと照れちゃうね。 手前で、立ち止まる。 いつも、ありがとう。 大好きだよ。 気持ちを込めて、 チョコレートの箱を差し出す。 霧が晴れるように、 現実に引き戻された。 無数の、カメラのフラッシュ。 拍手と歓声。 そっか。 ステージだったね。 緊張感は、もう無い。 ターンを決め、 足取り軽く引き上げる。 次の人にタッチし、 ステージ裏に戻る。 スタッフさんの、拍手で 迎えられた。 「いやあ、最高だったよ、美希ちゃん!」 「恋する乙女の表情、ばっちり撮れたよ!」 カメラの映像を 見せてもらう。 恥じらいと、決意が 入り混じった、微笑み。 少し、赤らめたほお。 我ながら、完璧。 もう一度と言われても、 多分無理。 「さ、みんなの声援に応えてあげて」 他のモデルさん達に腕を組まれ、 再びステージに上る。 ラストの全員ウォーキング。 拍手が、心地良い。 みんな、ありがとう。 アタシ、出来たよ。 みんなに渡すチョコは 買っておいたけど、変更。 心を込めて、作るからね。 今夜は、徹夜かも。
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ほぼ妄想百合ばかりやないか……! -- (名無しさん) 2012-12-28 01 50 34
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いつもなら眠るにはずいぶんと早い時間。ラブはぼんやりする頭を冷やしながらベッドに潜り込む。 すっかり元気になったなんて嘘だ、ホントはまだちょっぴり熱っぽくてダルかった。 枕元でリンクルンが鳴り響く。発信者は蒼乃美希、予想通りだった。 「もしもし、美希たん今日はゴメン! オーディションの服を一緒に選ぶって約束してたのに」 「いいのよ、それより風邪はホントに良くなったんでしょうね?」 「もうバッチリだよ。それで、こんな時間にどうしたの?」 「せつなのことよ。仲良くなれたのは良かったんだけど、少し気になることがあって」 美希にとって、初めてのせつなとの二人きりの時間。始めは気まずくて、何を話したらいいのかもわからなかった。 せつなは口数が少なくて、真面目で責任感が強くて、思ったことをズケズケと意見する子だった。 なんとなく気になって祈里に聞いてみた。二人っきりの時、祈里にとってせつなはどんな子なのかって。 可愛らしくて、少し天然なところもあって、いつもニコニコしていて、おとなしい子だって。 そして、以前ラブにも聞いていたことを思い出したのだ。ラブと二人っきりでいる時のせつなは―――― 明るくはしゃいで元気いっぱいで、冗談もよく口にする自由奔放な子なんだって。 「確かに、アタシたちだって相手によって態度を変えることはあるわ。けど……」 「何が言いたいの? それじゃわからないよ美希たん」 「じゃあハッキリ言うわね。これ、本当に同じ子なのかしら?」 まるで映し鏡。せつなは瞳に映る相手の印象を、自分自身に取り込むかのように振舞う。 そして、一緒に居る人の数が増えるほどに個性は薄れ、どんどん存在感が薄くなり人々の中に溶け込んでいく。 だとしたら、本当のせつなは一体どこにいるんだろうって。 「そんなことないよっ! 初めて会った時からせつなは素敵な子で、何も変わってなんかいないもの!」 「あっ、アタシ……。そんなつもりじゃなかったの。ただ、ちょっと心配になっただけで」 「こっちに来たばっかりで、どう振舞っていいかわからないんだと思う。力になってあげて、美希たん」 「変なこと言ってゴメン。もちろんよ! 一人にはしないって約束したものね」 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。四つ葉中学文化祭(中編)――』 うなされるようにしてラブは目を覚ました。いつもの起床時刻までにはまだ一時間もある。 部屋は少し寒いくらいなのに、下着はじんわりと汗をかいていた。 べつに悪夢というほどの記憶でもない。なのに、なぜか心は不安に囚われる。 (どうして、今頃こんな夢を見たんだろう……) あの日、美希はせつなを優しいと表現した。優しいって言ってもらえたのは初めてだって、せつなは嬉しそうに話してくれた。 美希が懸命にせつなを知ろうとしたように、それ以上に、せつなは自分を探していたんだと思う。 自分の生き方を選ぶことすら許されなかった子。誰かを愛する自由すらなかった子。 メビウスの僕という配役を、無理やり演じさせられていた子。 生まれた時から、ずっと――――ずっと……。 (演劇なんてやらせたの、失敗だったのかな?) せつなが、この物語を作り話と捉えていないのは明らかだ。 役になりきるだけではなく、自分の何かを投影させていることも伝わってくる。 何も叶わない世界で生きてきた彼女には、この二人の境遇と生き様はどのように映るのだろうか。 (せつなは、どうしてシナリオを変えることを拒んだんだろう……) ひとつだけ、はっきりしていることがある。それは、自分がどうすればいいのかってこと。 変わらない。何があろうと――――それだけは絶対に変わらない。 (あたしはいつだって、せつなの想いを正面から受け止めるから!) せつながロミオになるならば、自分はジュリエットになろう。 ただの一度だって、自分の心に背いたことなんてなかった。桃園ラブは、ずっとラブでしかなかったから。 だから、生まれて初めて他人を演じよう。 (せつな、あたしもジュリエットになるよ。そして、ロミオとの愛を貫くんだ) 刻は夜更け、舞台はキャピュレット家の庭園。その高い壁を飛び越えて人影が進入する。そのまま館に最も近い木立の影に身を隠した。 ジュリエットに一目会いたくてたまらず、ロミオは危険を承知で宿敵の屋敷に忍び込んだのだ。 息を潜めて二階を見上げるロミオ。その願いが天に届いたのか、ジュリエットは窓から顔を覗かせた。 「あれは何だ! まるで暗い闇に突然日の光が差したかのようじゃないか。 ジュリエット、君こそは太陽だ。数多に煌く星たちも、その眩き光の前には全ての輝きを失う。 大空が太陽のものであるように、僕の心の全ては君のものだ。たとえ焼き尽くされても構わない、僕は君に触れてみたい」 ロミオがすぐ側にいることも知らず、ジュリエットは想いの丈を口にする。 「おお、ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオなの? どうかお父様と縁を切り、ロミオという名をお捨てになって。 私の敵といっても、それはあなたのお名前だけ。モンタギューの名を捨てても、あなたはあなた。 モンタギューってなに? 手でもないし足でもないわ。 顔でもない。人間の身体の中のどの部分でもない。だから――――別のお名前に。 そのお名前の代わりに、私の全てをお取りになっていただきたいの」 小さな胸に秘めておくには、あまりにも切なすぎる想い。されど他人に口にすることは許されぬ想い。 相手は宿敵モンタギューの息子なのだから。 せめて、月に聞いてもらいたい。そんな乙女心からの囁きだった。 まさか、愛する人に聞かれていたなんて。それが初めて交わす会話になるなんて……。 「おお、ジュリエット! 全て受け取りましょう。ただ一言でいいのです、僕を恋人と呼んでください。 その言葉を洗礼に代えてロミオの名前を捨てましょう!」 「ロミオ様!? どうしてここに? 何のためにいらっしゃったの? あなたはモンタギュー家の嫡子。もし家の者に見つかれば、命はないというのに」 「ジュリエット、どうか月にではなく僕に向かって言ってください。愛していると! もしもそれが叶わぬのなら、このまま見つかってしまいたい。 あなたに愛されず空しく死ぬ日を引き伸ばすより、いっそ彼らの憎悪にこの身を引き渡しましょう」 「ああ、夜の闇に感謝いたします。恥ずかしさのあまり、きっと真っ赤に染まっている頬を隠してくれるのだから。 呆気ない女、たしなみの無い女と思われたでしょうか? 物足りないと失望させはしなかったでしょうか? だって、しかたがないのです。まさか恋しい胸の内を、知らない間にすっかり立ち聞かれるなんて思いもしなかったのですから。 そうでなければ、もっとつれなく見せたり、よそよそしく拗ねて見せることもできたでしょう」 「恋の駆け引きなど、真実の愛の前に何の意味がありましょうか? ジュリエット! 僕は誓言しましょう。あの美しい月の光にかけて――――」 「いけません! 一月ごとに形を変えてしまうような月になど誓われて、あなたの愛まで変わってしまっては大変です。 どうしてもと仰るのなら、私にとって神にも等しいあなた自身に誓ってください」 「ならば、もし僕のこの想いが――――」 「ああ、待って! 奥で乳母が呼んでいる。今宵はこれまでです。 ロミオ様、もしもあなたの愛が真実で、結ばれるおつもりがあるならば明日使いをやります。 いつ、どこで式をなさるのかお言付下さい。 そうしたら、私は全てのものを投げ打ってあなたの元に参りましょう」 桃色のドレスに身を包んだラブが、身を翻して舞台から降りる。腰まで伸びた金色の髪が、歩くたびに揺れてキラキラと輝く。 普段の快活さは鳴りを潜め、しとやかで可憐な身のこなし。まるで、生まれた時から貴族の令嬢であったかのように。 せつなもまた、漆黒の礼装で闇に紛れるようにして走り去る。 繊細で優美。洗練された一分の無駄もない動き。されど、その振る舞いは――――紛れもなく男性のものであった。 「こんな綺麗な子、うちのクラスにいたっけ?」 「馬鹿、桃園だろうが」 「わかってる。いや、わからねえよ。こんなに変わるものなのか?」 「すごいじゃない! ラブ。セリフも完璧! 情感もたっぷりで……何があったの?」 「何もないよ由美。ただ、なりきってしまえば――――覚える必要も、演じる必要もないって気がついたの」 「なるほど、スイッチが入ったって感じね」 「スイッチって?」 「時々、ラブってすごいもの。ホントにどこかにスイッチがあるんじゃないかしら?」 「きゃはは! やだやだ、くすぐったいったら! ないない、そんなのないって!」 「こらっ! 男子が真っ赤になって見てるわよ。真面目にやりなさい」 軽く注意しながらも、せつなも嬉しそうに会話に加わる。足手まといと心配されていたラブの演技の突然の上達だった。 セリフはよどみなく紡がれ、時に言葉に詰まっても、台本に劣らぬアドリブで乗り切ってしまう。 詠うような流暢な会話の流れの中に、溢れんばかりの心情が篭っていた。 こと、目立つという意味においては、ラブはせつなすら凌駕する。 ミユキがラブに目を付けたのは、何も助けてもらった恩に報いただけではない。 美希と一緒の撮影で、ぬいぐるみを着せられた本当の理由。テーマすらぶち壊してしまう圧倒的な存在感。 理屈では説明できない魅力。ただそこに居るだけで、その場の空気すら変えてしまうほどのスター性がラブにはあった。 スイッチが入ったと由美が形容した。ラブは心の輝きがそのまま外面に出る子だ。役になりきることで、本来の魅力が引き出されたのだろう。 それはせつなも同じだった。ラブがスイッチなら、せつなはリミッターといったところだろうか。それが完全に外れていた。 普段は優秀ながらも目立ちすぎないように抑えている能力が、余すところなく発揮される。 せつなは大したメイクはしていない。ウィッグすら付けていない。ただあるがままに、男子たれと自分に言い聞かせているだけだ。 彼女の強力な自己暗示は、心の持ち方だけに留まらない。言うなれば魂の変容であった。 日頃のつぶさな観察によって蓄積された情報は、人々が抱く理想の振る舞いを体現する。そして清楚な少女は美麗な男性へと変貌した。 男子のせつなへの憧れは一時的に失われ、同性への嫉妬に変わる。反対に女子の目はせつなに釘付けになり、恋に似た感情を抱く者すら現れた。 ロレンス神父の導きの元、密やかに行われるロミオとジュリエットの婚姻の儀式。セリフが少な目で、瞳で語り合う一番難しいシーンだった。 クラスの皆は、それが演技であることも忘れてその神聖な儀式を喜び合う。 それほどまでに、ラブは嬉しそうだった。それほどまでに、せつなは幸せそうだった。 出会ってわずか数日後の結婚式。まるで、何かに急き立てられるように惹かれ合う恋人たち。 それは、物語の顛末を知らぬ者には滑稽なほどに不自然で――――知る者には悲しいほどに自然な心の動きだった。 ヴェローナの街にて二人の男性が落ち合う。太守の親戚にしてロミオの無二の友、マキューシオとロミオの従兄弟のベンヴォーリオだ。 キャピュレット家のティボルトがロミオに果たし状を送ったことを知り、代わりに受けて立とうと勇ましく語り合う。 仮面舞踏会でロミオと衝突した因縁があり、それを晴らすつもりなのだろう。 キャピュレットの甥で、ジュリエットの従兄弟にあたる人物だ。文武両道に秀で、特に決闘における強さは無双の剣士と謳われる。 剣よりも女性の手を、戦いよりもダンスを好むロミオに敵うとは思えない。 案ずる二人の前にティボルトが現れる。 ロミオのことを聞き出そうとしたところ、マキューシオが立ちはだかる。 「語り合うなら女に限る。お前とは喧嘩が相応だ。ロミオより先に相手になるぜ!」 「落ち着け! マキューシオにティボルト、ここは往来の街中だ。落ち着いて話し合うか、さもなくば別れようじゃないか」 「そうだな、お前らと争っている暇はない。俺の相手が現れたんでな」 「ロミオ! なんてところに……。お前の運は女以外ではさっぱりだな」 今にもティボルトに挑もうとするマキューシオと、ロミオに襲いかかろうとするティボルト。 二人の鬼気迫る様子に対し、ロミオは全く戦意を見せようとしない。 「ロミオ、俺はお前を認めない。貴様は卑怯者の悪党だ」 「生憎だが、僕には君を愛さなければならない理由がある。僕は卑怯ではない。君は僕をまだ理解していないだけだ」 「そんな言い訳で、貴様から受けた数々の無礼が帳消しになると思うな! さあ剣を抜け!!」 「それも誤解だ、僕は無礼などしていない。信じてもらえないだろうが、君は僕にとって大切な人なんだ」 「ロミオ、なんて情けない命乞いだ。そんなご機嫌取りをする必要はない。俺が代わりに相手になってやる!」 「いいだろう、先に相手をしてやる! 来い!!」 「待て、双方とも剣を収めろ!」 ロミオの友人、マキューシオとベンヴォーリオは、ロミオとジュリエットの関係を知らない。 本来憎むべきキャピュレット家のティボルトも、ロミオにとっては愛しいジュリエットの従兄弟なのだということを知らない。 ただ、モンタギュー家とロミオ個人に肩入れする者として、マキューシオはティボルトと剣を交える。 ロミオは懸命に二人を説得した。どちらが倒れても、それは彼にとって悲劇しかもたらさないのだから。 遂には身を挺して決闘を止めようとする。丸腰で両者の間に飛び込み、仲裁は成功したかのように見えた。 しかし―――― 無双の剣士と名高いティボルトは、ロミオの腕の下のわずかな隙間からマキューシオの身体を貫いていた。 「しっかりしろ、マキューシオ。傷は……浅いぞ」 「たしかに井戸よりは浅かろうし、教会の戸口よりは狭かろうさ。だが、あの世に俺を連れて行く役目くらい十分に果たすだろうぜ。 ちくしょう、あの野郎。まるで教本のような剣術じゃねえか。お前もなんだって止めに入りやがった? 連れの腕の下から刺されるなんてしまらねえ話だ」 それ以降は口を閉じ、徐々に冷たくなっていく友人をロミオは抱きかかえる。 「マキューシオ……。僕にはかけがえのない親友だった。それが僕の不甲斐なさのために致命傷を負ってしまった。 ティボルトの暴言は僕の名誉にも泥を塗ったが――――何より大切な人を奪ってしまった。 ティボルトよ! ほんの一時間前に僕の縁戚になった者よ! 君はたった今から僕の仇になった。家柄としてではなく、僕個人の怨みとしてだ。 おお、ジュリエット! 君の美しさが僕を弱くした。君への愛が僕の勇気を鈍らせたのだ」 それは憎悪の声。友の死を悼み、ティボルトを憎み、何より自分自身を憎む魂の叫び声。 やがてマキューシオは息を引き取る。嘆くロミオとベンヴォーリオ。そして彼はロミオに更なる不幸を知らせる。ティボルトが戻ってきたのだ。 血に濡れた、剣を抜いて―――― 「意気揚々と、得意顔で結構なことだなティボルトよ! マキューシオは死んでしまったぞ。 もう僕も容赦はしない。悪党呼ばわりも叩き返してやる。冥土の土産に持っていくがいい。彼の魂はまだこの上に居る。道連れにちょうどいいだろう」 「道連れは相棒の貴様に決まっている。あの世で仲良くするがいい!」 ロミオを演じるせつなの瞳に怒りが宿る。命の奪い合いの経験がある者のみが放つ、本物の殺気が周囲を震え上がらせる。 幾多の試合を勝ち抜いてきた、ティボルト役の剣道部員の猛者ですら足がすくむ。 レイピア――――決闘を前提にスピードを重視して作られた、刺突に特化した片手剣。まして、それは演技用に棒切れのように軽く作られていた。 剣に心得のある者が振るった時、その太刀筋は目視できないほどの疾さとなる。 何度かの稽古で、手順さえ決めておけば危険はないと確信していた。だがそれ以上に、彼女から受ける恐怖が自衛本能を呼び起こして剣筋を鋭くさせる。 風を切る唸りをあげながら銀光がせつなを襲う。その全てをせつなは紙一重で見切って避ける。女子の何人かは悲鳴を上げて顔を覆う。 剣先がせつなの髪を掠める。数本の髪を引き千切り、それが最後の攻勢となった。せつなの反撃がティボルト役を追い詰める。 神技に近いタイミングでパリィが決まり、ティボルトの剣は大きく弾かれる。せつなの突きがティボルト役の子を貫く! 実際には、高速の突きを更に超高速の引きで相殺しているのだ。トリックなど使わなくても、傍目にはそれでロミオの剣が相手を突き抜けたように見えた。 ティボルト役の子はゆっくりと倒れる。ロミオの友人、ベンヴォーリオ役の子がロミオを逃がす。 ここは俺に任せて姿を消せ、捕まれば死刑になるぞと。せつなは悲しみに満ちた表情で舞台から降りた。 太守が衛兵を率いて現場に姿を現す。公平な太守はベンヴォーリオの語る経緯を信じ、ロミオの処分をヴェローナからの追放に留めた。 死刑が当然の咎に対して、それは寛大すぎる処置であった。 しかし、ジュリエットを愛するロミオにとっては――――それは死刑にすら勝る最悪の処分でもあった。 「大丈夫? 立てる?」 「あっ、ああ……ありがとう。東さん」 シーンが終わっても立ち上がらないティボルト役の子に、せつなが遠慮がちに手を差し伸べる。 先ほどとはまるで別人。その表情は女の子らしく可憐で、瞳はその子を気遣って不安に揺れていた。 真近で見るせつなの顔はやっぱり美しくて、ミディアムレイヤーの髪からは表現しがたい甘い匂いが薫る。 差し伸べられた手は驚くほどに華奢で白くて、その指は握っただけで折れてしまうのではないかと思うくらいに細かった。 それでいて――――触れた部分から頭が、全身が、痺れてしまうほどにせつなの手は柔らかく、そして温かかった。 真っ赤になってしどろもどろに礼を言う男子に、せつなは優しく微笑んだ。 「東さん、ちょっとやりすぎなんじゃ? 見ていて怖かったよ」 「由美、戦いは怖いものよ。そして、死は救いのないものよ。私はいい加減に扱いたくないの」 「でも、もし怪我でもしたら……」 「私は怪我なんてしないし、決してさせないわ。お願い、やらせて!」 「わかった。でも本当に気をつけてね」 「せつな……」 「さあ、次はラブの番よ。しっかり頑張ってね」 ジュリエットは気ぜわしく部屋の中を歩き回る。まるでそうしていれば、少しでも夜の訪れが早くなると思ってでもいるかのように。 出会って一目で恋に落ち、数日後の再開では将来を誓い合い、翌日には結婚式を済ませて、今こうして新婚初夜を迎える。 こんなに短い間に女の幸せを駆け抜けた者が他にいるだろうか? それなのに、まだ足りぬとばかりにジリジリと時間の過ぎるのを待つ。 「ああ、恋の住まいし夜の闇よ、隙間なく帳を張りめぐらせて! 愛しいロミオ様が、人知れず私の元に飛び込んで来てくださるように。 私はそっと部屋で待ちましょう。人に触れられたことの無い肌は震え、まだ膨らみも小さな胸は激しく高鳴る。 それでも恋とは添い遂げるためにあるのだから、恐怖はやがて歓喜に飲み込まれることでしょう。 今夜のために用意した縄梯子、かける瞬間を待ちましょう。夜の訪れ、ロミオ様の訪れを待ちましょう」 「お嬢様、大変でございます。ティボルト様がお亡くなりになりました。憎きロミオの刃にて、無残に殺されたのでございます」 「なんてことでしょう! いいえ、驚くほどのことではないのでしょう。彼はモンタギューの家の者で、街中で切り合うも珍しいことではないのだから。 知っていたわ……彼が敵だなんてことは。それでも、彼は私に愛を囁いたのよ。これは何という裏切りなのかしら? おお、ティボルトよ、あなたはもう暗い棺の中。私と同じように、彼の美しき容姿の奥に潜んだ悪魔に喰われてしまったのね」 「その通りです、お嬢様。やっとお気付きになられましたか。モンタギューなど油断も隙もありません。性根の腐った悪魔の輩にございます。 ロミオは追放となったそうでございます。結婚もお忘れ下さいませ。嘘吐きの悪党との誓いなんて、これっぽっちも意味など持ちませんとも」 「今、なんと言ったの! いいえ、乳母を責めるのはよしましょう。あなたの口からロミオ様の悪口を聞いたおかげで私の目は覚めたのだから。 あのお方のなさったことならば、きっと何か事情があるのでしょう。世界の全てはあの方のためにあり、私はお側で跪くのみ。 彼の行為は条理を外れて正義であり、それを批判した私こそ人でなしの恥晒しなのです」 「では、お嬢様はあのモンタギューの若僧を許すと仰るのですか?」 「口の利き方に気をつけなさい! ロミオ様にとって、モンタギューの血筋など尾ひれに付いた汚れに過ぎません。 ああ、気をつけるのは私の方だわ。ティボルトは亡くなってもロミオ様が生きている。それはこの上ない喜びだと言うのに。 私はどうして泣いていたのかしら? そう! この涙は別れの涙。愛する人との別離のために流れる涙なのよ。 亡くなった者がティボルトでも私の両親でも……」 「――――っ……」 「……亡くなった者がティボルトでも私の両親でも構わない。誰が死のうと残った者は生きていられるのだから。 でも、ロミオ様がいなくなってしまう。これ以上の苦しみはないわ! それは私にとって、世界が滅びるのと同じ意味を持つのよ」 セリフの途中でラブが詰まってしまう。しばらくの沈黙の後、思い出したのか再び続きを紡いでいく。 気を取り直して演技は続けられた。 桃園家の二階のベランダに、せつなは一人たたずむ。物憂げな表情は夜景に相応しく、まるで演技が続いているかのようだった。 そんな姿を見かけて、ラブも窓から出てきてせつなに並んで立つ。 せつなは何も言わずにそっと頬を緩める。ありきたりの挨拶なんて要らない。 ラブにとってはせつなの隣に立つのは当然のことで、せつなにとってはラブの隣にいるのは息をするほどに自然なことだった。 会いたい人に、いつでも会える幸せ。ロミオとジュリエットに比べたらなんて贅沢なことだろうと思う。 でもそれだって、かつてはキュアピーチとイースとして戦い、命をかけて紡いできた絆だった。 「今日は驚いたわ。ラブがあんなに演技が上手だなんて」 「たはは、最後でトチっちゃったけどね」 「あれは……セリフを忘れただけかしら? 私には言いたくなくて詰まったように感じたわ」 「すごいね、せつなは何でもお見通しなんだ。そうだよ、口にしたくなかったの」 「従兄弟や両親が死んでも構わないって部分ね。台本を書き直してもいいのよ?」 「それは駄目だってせつなが言ったクセに。でも、ジュリエットは好きだけど、そこだけはどうしても共感が持てなくて」 「自分の幸せとみんなの幸せ、両方ゲットするのがラブの願いよね。ジュリエットは自分の幸せしか見えていない」 「うん、それじゃあジュリエットだって幸せにはなれないよ」 「そうね。でも人を愛することって、自分にとって特別な人を作ることなんじゃないかと思うの」 「せつな?」 「全ての人を等しく愛することって、誰も愛さないことと同じなのかもしれない」 そして等しく愛されることは、誰からも愛されないことなのかもしれない。と、せつなは続けた。 人を寂しさから救うのは、他人を差し置いて特別に注がれる愛情なんだって。 一息に口にしてから、自分の言葉に傷付いたかのように唇を噛みしめる。 瞳に深い悲しみを讃え、長い睫毛は後悔に震える。 「そんなのせつならしくないよ。みんなを笑顔と幸せでいっぱいにするのがせつなの夢だって言ったじゃない」 「だからこそ、この物語のラストは変えちゃいけないの。このお話は悲劇じゃないわ。二人の死で両家の争いは収まり、街に平和が訪れるのよ」 「幸せになった上で、争いも収めればいいじゃない。犠牲なんていらないよっ!」 「あの二人は、犠牲になんてなってないわ!」 「せつな、どうしたの? 最近おかしいよ。今だって泣いてるみたいじゃない」 「なんでもないわ、もう寝ましょう。おやすみなさい、ラブ」 「うん……。おやすみ、せつな」 灯りの消えた部屋にせつなは戻る。「ここからは一人」そう言われた気がした。その後姿に、ラブは未だせつなの心に残る闇の深さを知る。 こんなに近くに居るのに、毎日一緒に居るのに、時々せつなは暗闇の中を一人で歩いているように見えることがある。 ラブは部屋に戻り、秘密の小箱を開く。出てきたのは日記帳と、七夕の時に飾った二枚の短冊。 あゆみからこっそりと託されたのだ。これはラブが持っておきなさいって。 “みんなで幸せゲットできますように” ラブ “みんなの願いが叶いますように” せつな 一見そっくりな願い事に見えて、実際には全然違う。ラブは文字通りみんなと一緒に幸せになりたいと思っている。 みんなの幸せが自分の幸せを導いて、自分の幸せがみんなの幸せを招いて。 そんな風に生きたいと思ってる。 せつなは違うのだろう。せつなだって自分も幸せになりたいと思っている。でも、それは許される範囲と時間の中においてだけ。 せつなは周囲の人全てが幸せでなければ、自分が幸せであることを許さない。 「じゃあハッキリ言うわね。これ、本当に同じ子なのかしら?」 「本当のせつなは一体どこにいるんだろう」 今朝の夢が思い出される。誰よりもせつなを理解しているつもりなのに、時々わからなくなることがある。 本当のせつなは別にいるんじゃないかと思うくらい、願望と行動が一致していないのだ。 一人で占い館に行って、命と引き換えに不幸のゲージを破壊しようとした。 あなたたちが居なくなることが一番怖いと言ったのに、一人でラビリンスに帰っていった。 やっと、本当の家族を持てた。おかあさんと呼んで涙した。美希やブッキーとだって親友の絆を築いた。 ダンサーの夢を追いかけた。精一杯頑張ってやり直そうとした。全部! 全部! 幸せになるためじゃなかったのか? 笑顔の奥で泣いていたのだろうか? 全てを捨てて死ぬつもりだったのか? 幸せを思い出に変えて、別れる決意をしていたのだろうか? 今、自分が見ているせつなは、本当のせつななんだろうか? ふと、そんな疑問が湧き上がり、その考えにゾッとする。 イースだった頃もそうだった。仲間に先んじて総統メビウスの信頼を勝ち得る。そんな自分だけの幸せのために破壊活動を繰り返していた。 あの時はそうするしかなかった。それだけがイースに許される、ささやかな幸せを得る方法。寂しさを埋める方法だった。 それなのに、命を削ってまでナキサケーベを召還した。死んだら、何にもならないのに―――― 自分の幸せのために、みんなを傷付けていたイース。自分の幸せを後回しにして、みんなの幸せを望んでいるせつな。 イースだったせつなと今のせつな。やってることは反対でも、どちらもせつななんだって思ってきた。 でも、もし――――どちらも本当のせつなではないとしたら? 「メビウス様のためなら、他の者がどうなろうと構わない! たとえ、この命が尽きても」 「泣いているじゃない。本当は、命が尽きてもいいなんて思ってないんだよね!」 かつて、コンサート会場の戦いで知ったイースの想い。 イースが無理をしていたように、せつなも無理をしているのだとしたら? ふと浮かぶイメージ。光の差さない暗闇の中で、せつなはたった一人で膝を抱えてうずくまっている。 心の声に耳を塞ぎ、自分を押し殺し、願いを諦め、恐怖を覚悟で打ち消して。 辛さと寂しさに歯を食いしばりながら。 それが本当のせつななのだとしたら――――帰って来た今でも、それは変わらないのかもしれない。 どこまでも、自分の気持ちに正直に生きたロミオとジュリエット。それはせつなと対極の生き方。せつなの願望そのものなのかもしれない。 だとしたら、せつながロミオとジュリエットにハッピーエンドを認めない理由は……。 考えれば考えるほど深みにはまっていく。思い違いかもしれない。的外れかもしれない。杞憂なのかもしれない。 だけど、放ってはおけない。確かに――――悲しそうな顔をしていたから。 (あたしはいつだって、せつなの想いを正面から受け止めるから!) そして、どれだけ時間がかかっても構わない! せつなの寂しさは自分が埋めるんだと誓う。 ラブにとってせつなは、出会った時から特別な人なのだから―――― 新-102へ
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分厚くて重い扉を何とか開けて、屋敷の中へ滑り込む。 歩き出そうとしても足に力が入らず、その場にずるずると崩れ落ちる。 焦点の定まらない目に映るのは、黒い長手袋に走る白い破れ目。 その隣りにあったはずの、緑色の小さな塊――幸せの素は、つい今しがた踏み壊して、既に無い。 頭の中の淡い煌めきの残像が、すーっと消え失せて――気が付くと、私は闇の中に居た。 息が苦しい。寒い。とてつもなく寒い。 腕が、胸が、重い痛みに悲鳴を上げる。 身体じゅうに冷たい汗が、ねっとりと絡みつく。 闇はどんどん広がって、私はどんどん小さくなる。 このまま私は、消えてしまうのだろう。 このままボロ雑巾のように、捨てられてしまうのだろう。 そんなことは、とっくに分かっていたはずなのに、もう一人の私が、冷たい胸の中で地団駄を踏む。 嫌だ。嫌だ。嫌だ。そんなこと、認めるものか。 違う。違う。違う。メビウス様のお役に立って、今度こそ・・・! そのとき、手の甲に不意にあたたかな感触を覚えて、私はぼんやりと目を開けた。 暗がりにくすんで見える、ピンク色のコスチューム。闇の中でも淡く輝く、金色のツインテール。 力の入らない私の右手を押し頂き、手袋の破れ目に口づけているのは――桃園ラブ。いや、キュアピーチ。 何をしている。離せ!何故お前がこんなところに・・・。 そう言いたいのに、私の口は鉛のように重く閉ざされ、首はガックリと垂れたまま、動くことができない。 ピーチの唇が緩やかに、傷から傷を渡って動いていく。 手の甲から、手首へ。腕へ。肘へ。二の腕へ。 ボロボロの私の身体が、まるで愛おしいものであるかのように、ゆっくりと労わるようなキスを繰り返しながら。 その唇が触れるたびに、傷口から熱が流れ込み、凍てついた血液が溶かされて、音を立てて流れ始める。 ピーチの唇はなおも動く。 今度は脇へ。肩先へ。浮き出た鎖骨の上を通って、胸の裾野から頂きへと。 心臓が、ゆっくりと、そして次第にふいごのようにせわしなく、トクトクと動き始める。 胸の先に生まれた甘美な痛みが、身体の芯に、ちろちろと揺れる小さな火を灯す。 全ての傷口から、光が――熱と疼きを伴った光が注ぎ込まれ、身体じゅうを切なくも力強く駆け巡る。 やがて身体に収まりきれなくなった光のカケラが、瞳からポロリと零れたとき――ピーチはその柔らかな両腕で、私の頭を優しくかき抱いた。 ――大丈夫だよ、せつな。 やめろ。その名前で呼ぶのはやめろ! そう叫びたいのに、まるで喉が塞がれてしまったかのように声は出ず、その代わりに、両目からポロポロと、雫が後から後から零れ落ちて・・・。 まるでそれは、今は無き幸せの素の代わりのように、床の上に滴って、きらり、きらりとわずかな煌めきを見せた。 ・・・ 「あ~あ、もう笑っちゃうくらい、傷だらけだよぉ。あたしって、やっぱり不器用だなぁ。」 十本の指にもれなく付けられた小さな傷を見ながら、ラブがはぁ~っと溜息をつく。でもその目は、気になっていたことをやっとやり遂げた、充実感に満ちている。 私は、机の上に置かれたウサピョンに目をやってから、ラブの傷口に、薬を塗り始めた。 「まったく。一体どうやったら、こんなところにまで傷ができるわけ?」 「とほほ・・・。痛っ!せつな、優しくしてよぉ。」 そう抗議するラブに、はいはい、と苦笑いしながら、私は一本一本の指に、絆創膏を貼っていく。 最後に残った傷は、左手の小指のほぼ真ん中。桜貝のような小さな爪から、二センチ中に入ったところ。 私は持っていた薬を脇に置くと、少しためらってから、両手でラブの左手を包んだ。 そのままそっと、小さな赤い傷口に口づける。柔らかくてすべすべした指の感触を、唇に感じる。 「・・・せつな?」 すぐには声が出せなかったのだろう。一呼吸置いて、驚いたように小声で問いかけるラブに、私はわざと悪戯っぽく、ニヤリと笑ってみせた。 「おまじない。ラブの傷、早く治りますように、って。」 あのとき、つかの間の夢の中で、あなたが私にしてくれたこと。 冷たく縮こまって、そのまま息絶えても不思議ではなかった私に、あなたが――あなたとの出会いがくれた、最後の光。 だからこそ、私はもう一度立ち上がって、あなたにぶつかっていくことができた。 もしもこの先、あなたが暗闇に閉じ込められたら。凍える寒さに、独り震える時があったら。 そんなときは、今度は私が、あなたに貰ったこの光の全てを、その身体に注ぎ込んであげる。 でも、傷口すらこんなにあたたかいあなたに、そんな日が来るなんて思えなくて――そんな時が、一瞬だって訪れてほしくなくて。 だからこれは、ただのおまじない。私だけの、私だけが知る、密かな誓いの証。 ありがとう、と照れ臭そうに動く、その唇にそっと微笑んで、 私は救急箱の中から、もう一枚、絆創膏を取り出した。 Fin.
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うたって!プリキュアドリームライブ プロモーションカード AFTER GoGoドリームライブ!プロモ 概要 GoGoドリームライブ!の時期に配布されたプロモカード。 全66種+α またGoGoドリームライブ!と同様に後続のシリーズと異なり、カードの配布種別によってカードナンバーの先頭に付くアルファベットが異なっている。本弾ではSP(通常プロモ)・GL(マイク付属)・ST(スターターセット)・CD(コーディネートカードセット)・PR(スナック)・AP(アパレル付属)・NM(namco×BANDAIキャンペーン)・A(あたりカード)・CP(あたり引き換え後)に分かれる。 A(あたりカード)については、3rdライブにて実施されてキャンペーンのカードであり、CP(あたり引き換え後)のプロモカードと店頭で交換できた。筐体から排出されるカードであるため、一種の「通常排出カード」でもある。(このWikiでは便宜上プロモカードに記述している) CPとの交換前提のカードであるため、通常排出であるにも関わらず、市場へ残っている分が少なくなっている。さらに複数枚を集めて応募することで玩具等が抽選でもらえるキャンペーンもあったため、さらに出回りが少ない。 入手難易度は非常に高く、間違いなく「通常排出」または「プロモカード」それぞれのコンプリートの大きな関門の一つとなる。 因みに、イラストが同弾(3rdライブ)のPRと同じであるため、トレードなどで混同されやすいため注意が必要。前面に「〇〇カードセットがもらえるよ☆」「アタリ!」「Congratulations!」と表記され「箔押し」がないため、知っていれば見分けること自体は容易である。 なお、これ以外にも「ジュエルカード」というものもあるが、このWikiとしてはプロモカードには含めていない。 SPプロモカードリスト No. キャラ名 カード名等 入手方法 01 夢原のぞみ プリティ☆ドリームプリンセスドレス 映画 Yes!プリキュア5鏡の国のミラクル大冒険! 入場特典 02 夢原のぞみ ドリームスポーティーかれいなピンクリボン 「たのしい幼稚園」1月号 03 春日野うらら パーリーリリンプリンセスドレス コーディネイトレッスンBOX 04 夢原のぞみ サンクルミエール学園夏服いつものヘアスタイル 「なかよし」4月号 05 夢原のぞみ サンクルミエール学園夏服いつものヘアスタイル AOUショーイトーヨーカドーカップ配布 06 夢原のぞみ グレープカラーのドリームリボンドレス オフィシャルハンディカードホルダー 07 美々野くるみ エメラルドミルクスタイルいつものヘアスタイル オフィシャルカードホルダー~プリキュアGoGo!Ver.~ 08 夢原のぞみ美墨なぎさ サンクルミエール学園ベローネ学院制服 プリキュア5周年キャンペーン(店舗配布) 09 夢原のぞみ雪城ほのか サンクルミエール学園ベローネ学院制服 プリ!キバ!ゴー!イベント来場特典(東京ドームシティ)